ヤンキーのころ




夏風邪が満開、鼻水どこまでも、喉ぎょろぎょろ、パソコンはまた壊れて、エキスパート弟は痛がっている、浮き上がるアザに涙腺が反応、これまでになくアルコホール直撃、吐き倒して、吐き倒して、吐き倒して、キウイ4個食べて、C1000タケダ飲んだけど全部でた。体はいちばんえらいからね。ワタシの知らないことも知ってるからね。えらいな体。えらいぞ体。

おえ!!!!!!!!!
今日から一般ゴミが有料だよ!!!!!!

初対面の方々に、ヤンキー時代の話を聞かせてくれ、と、昔からずいぶん疑いなく頻繁に言われることの意味はよくわかっていませんけど、ヤンキーの定義もしりませんけど、誰もがそうであったように、ワタシも確かにヤングキッズであったわけなので、別にヤンキーがどうでもいいのです。

パソコンが壊れたことによって、大慌てで立ち上げている化石のようなパソコンから、すると、ヤンキーのころのデータが、ごろごろと出てきておって、きっと、これも、何か。かよ。どうやらワタシは、遠く、たとえば2003年の今日も、泣いたり、おえ!!!!!!!ってしてました。あのとき考えていたり発信していたことは、恥ずかしいけどすばらしくって、今も変わっていないと思いました。どのヤンキーのころもみな、恥ずかしくてすばらしいと思います。

ずっとおやすんでますが、引き続いておやすみなさい。ぐう。
どこにも合うサイズがなかったチャリのサドルを留守中につけていてくれて、ありがとう親父。


7月、もうひとつ


すごい夏だ。雨が続いていたせいで、緑が元気なまま。

元気なおっさんたちは、海に出たり、バイクにのりはじめたりと動き出した。日に焼けて夜、バーに立ち寄ってはワインを女体にたとえ、魚を女体にたとえ、車体を女体にたとえ、なんとまあ熱く語りはじめるにすべては見事に女体になるは関心するけど、一女体の感想としては、エロスの向かうが分散されるすばらしい季節だ。ってか。しかしながら、金がどうあろうと、なにが苦しかろうと、誇り高くどうしようもないものを本気で愛す全バカには、心で毎日泣かされよう。どうしようもないもののほとんどが、それこそが生きるを支えていて、それだけでいいくらいに。

しかし引き続いてガラガラの、すすきの。お店は相変わらずひどく大変ですが、それでもそのままにそこに居る限り、またそのままを放置するそのままのママがある限り、なにやら閑散としたところにへんな女がいるらしい、と、少しずつ、大変へんな客は寄ってくれるようになっていて、大変へんな客しか寄ってくれなくなっていて、すると居心地だけは、居心地だけは、そうしてどんどんどんどんよいのです。まあ大変へんな客が増えたところで、ますますますます大変ですが、ワタシもママもちっとも痩せないので、だれにも心配してもらえません。

さて。★★★★★★★★★★★★

前回のエントリーを受けて、早速メールたちありがとうございました。ほぼ100%の勘違いというか問いがあったので書きますが、FICTIONにハタノは出演しません。(※出演者等追記した。ていうかウェブをみろー。)そしてまた、これをお伝えするに、出演するか否かは、ぜんぜん重要ではありません。ハタノはFICTIONにて誇り高きホームページ係ほかにて、違うけど同じ頭を巡らせております。引き続いて、よろしくありがとうございました。楽しみに!楽しみに!楽しみ!楽しみ!ディンドンガー!まず7月!まず東京!わい!

んで。★★★★★★★★★★★★

ただ、左上に記しているように、ハタノはこの7月、出演もします。それが、札幌で行われる札幌のyhsという劇団の次回公演「しんじゃうおへや」で、物理的にはとても近くも遠く、ここではこちらの稽古が進んでいます。

ここで近いとか、遠いとかは、近いからいい、遠いから悪い、って言っているのではなく、事実そのような距離だ、というだけで、それは事実で、それは当然で、その距離の上で、またどこぞの何もしてないできない誰がとつぜん客演なぞをするという位置で、はじめましてのyhsの皆さんと、共感、不調和、疑問、理解、施行、錯誤にみまわれるのは、また、孤独で、大きく幸福なことだ。と思う。

従って最近は、なかなか参加できないながらも多くの時間が稽古である日々なのだけど、なかなかここに書けないのは、このことについて対峙したとき、毎日毎日毎日頭ばかりがでっかくでっかくふくれあがって、毎日毎日毎日泳いでは、毎日毎日毎日違うことを思うのだからです。ものすごくいろいろな意味で。

この劇の設定は、タイトルのとおり、死刑執行室。今や右見ても左見てもあふれている題材の「死刑」だったりするけれど、テレビないけどテレビで見かけるにほぼうんざりだったりするけれど。死刑囚にも、被害者にも、被害者遺族にも、刑務官にも、教誨師にもなったことのないワタシたちは、このことに真剣に近づこうとするとき、わかろうとした態度であるほどに、だから見事にどこまでもあんぽんたんでしかない。と思う。

劇の内容や稽古とはまったく関係がないけれど、個人的にははっきりと結局、死刑は反対ですが、反対や賛成とだけ述べるのは、ものすごく、そうじゃないです。

その矢先、先日FICTION山下澄人のフォログで、偶然にも死刑にまつわる話題があがってされていたやり取りが、ものすごく、それが「やり取り」だ、ってすごく感動したのだけど、ああもう「そこ」だ、ってすごく感動したのだけど、それについて書こうとしてとても収拾がつかなくなっているので、機会があったらまた改めて別にアップしたい。

まあ、しかしなんというか「キミがでるって?劇?へ?死刑?いくいく!じゃあ4枚!パンツ見える?!」などとお店で言われていると、力が抜けて、とても安心します。だはは。我々の関心はこうして目の前のパンツだか。ちなみに残念ながらパンツはたぶん見えないと思いますけど。手探りの中、そのまま目をあけていろいろがんばりますので、札幌の人々、7月、どうぞパンツを見る勢いで来てください。

yhs 22th PLAY「しんじゃうおへや」

脚本・演出:南参
出演:小林エレキ、能登英輔、イシハラノリアキ、丹治誉喬、吉竹歩、福地美乃、三宅亜矢、青木玖璃子、十日市恵子、小林テルヲ(WATER33-39/劇団遊劇社)、野村大(劇団イナダ組)、ハタノユリエ

日時:7月 17日(金)20:00
   7月 18日(土)19:30
   7月 19日(日)14:00
   7月 19日(日)18:00 ※終演後イベント
   7月 20日(月祝)14:00

会場:シアターZOO
札幌市中央区南11条西1丁目ファミール中島公園 B1F

料金:前売1,800円/当日2,100円

http://yhsweb.jp/


7月まず、東京の人へ


ワタシの時計は、相変わらず、だいたいが過ぎます。今は、だいたい六月後半にさしかかった、だいたい午後の前半、くらいを示していて、みなさんもだいたい元気でいればいいや!相変わらず、このだいたい時計でなんら支障ないと信じきった素晴らしい日々を過ごしているけれど、ただ、だいたい時計には残念なことも生じるので、ときどき少し慌てます。

ちくたく、ひとつ!
FICTIONのウェブ諸々はご覧になられたでしょうか。
まずは、7月に東京の人へ。

物理的にはとても遠くも近く、次回公演「ディンドンガー」が動いている模様。右上のチラシがそれです。で。7月の東京公演のチケット販売が開始されました!今、東京の人へ、あっという間の完売前に、どうしてもチェックしてください。これはますます、見ていただく他には術がないことでございますと思います。

ワタシのだいたいの日々に起こっている素晴らしいすべてのことは、これまでFICTIONと関わって生まれきたものに基づいている。ブログを隈無く読んでくれているような人々にはわかるかと思いますが、ああ全然過言じゃない。がんばって生きてる全ての人々と、今から生まれくる空間を共有できるということは、また今の彼らの姿を見てもらえるということは、だからワタシにとっても、何にも変えられない愛のメッセージをお伝えすることにもなるでしょう。胡散臭いけど、それがやっぱりほんとに過言じゃないです。ありがたいことに、ワタシにはこれをどうしても見てもらいたい人がたくさんいる。どんな劇ですか?知るかー。

FICTION Vol.31「ディンドンガー」
東京公演情報


作・演出係:山下澄人
出演係:山下澄人・山田一雄・井上唯我・荻田忠利・竹内祐介
    佐久間麻由・小林由梨・まさと・大島未由希・他

▶会場:
シアターモリエール
東京都新宿区新宿3-33-10モリエールビル2F

▶日時:
7月22日(水)PM7:30
  23日(木)PM7:30
  24日(金)PM7:30
  25日(土)PM3:00&PM7:30
  26日(日)PM2:00

▶料金:
前売り/指定席3,300円、自由席3,000円
当日/指定自由共3,500円

詳細は、ほれ!
http://www.fiction.gr.jp

近況を共にした、行くよメッセージも楽しみにしてます、東京らへんの人。
近況を共にした、行けないけどメッセージも楽しみにしているのですし、
最近いただけるはじめましてメッセージもとても楽しいです。
どうしてますか。そちらでは何が生まれて何が死にましたか。くだせえ。
yuriesuper59@gmail.com


チョコラ!


今日は雨の中、あれが祭りとは毎年ますますちっとも思えないヨサコイを尻目に、だからがらがらだったシアターキノへ、寝てないに鞭打ってボサボサと連れられた朝。

小林茂監督の「チョコラ!」という映画を見ました。
ああああよかったのです。

チョコラと呼ばれるケニアのストリートチルドレンが描かれているのだけど、なんていうか、それが宣伝されがちのようには、ケニアのストリートチルドレンであるかどうかなどどうでもよく、彼らがどのように貧しい生活しているかなどでもなく、いや、それらももちろんそうなのだけど、もっと奥ふかーーいところでとてもおもしろかった。

なんて、メッセージのこめられていない(※追記:もちろん外枠ではそれにこそこめられるの意)、なんて、結論のない、なんて、今の切り取られた、なんて、美しい、なんて、不可解な、なんて、そのままの、なんて、投げっぱなしの、なんて、近づいた、なんて、誇り高い、なんて、なんて、なんて、なんて。

画面を見ていて改めて思った、やっぱり、わかることなんて一つもないではないか。

まずは人の行動に、こうであるから、こうなのだ、なんて、ない。こうするために、こうするのだ、なんて、ない。たとえば、遊んでいるか、けんかをしているかも、喜んでいるか、悲しんでいるかも、わるいのか、よいのかも、好きなのか、嫌いなのかも、そんなことでさえも、わかりきることは、全然なくて。行動は、瞬間でしか、やっぱりなくて。

だから全部の画面にもやっぱり、こうであるから、こうなのだ、なんて、なくて、このシーンがあるからこのシーン、このシーンにつなぐためにこのシーン、なんてのも全然なくて、どれも不思議で、どれも不思議でありませんでした。

とにかく、すべての目線が同等に、子供も、大人も、赤ちゃんも、ニワトリも、ロバも、牛も、バスも、川の水も、撮るも、撮られるも、かっこえええええええええええかった。すべての人があんな風になればいいのに。ていうか、ワタシはとてもああなりたいです。

少しのまもなく目から涙が出た。左隣に座っていた知らないおじさんが、途中でいびきをかきはじめたので、ちょっとちょっと起こすのは忍びないのですがいびきがうるさいです、と、言おうとしましたが、やがてそんなのもかききえるほど、右側に座っていた妹と爆笑し、劇場の椅子をカタカタ震わせ続けました。

コバさん、ゾウさん、みなさん、どうもありがとうございます。

多くの人に見てもらいたいのに、東京の方の上映はもう終わっているそうで、もっとはやく知っていれば、とむずむずするところ、また機会があると思うのでその時に必ずや。

チョコラ!
http://www.chokora.jp/


これはすげえ!!か


たとえば、あるときなんにも響かなかった「もの」が、あるときなにかのきっかけで突然に「これはすげえ!!」と至ったりするのだ。その「これはすげえ!!」は、ただならぬ「これはすげえ!!」だ。もうそれはそれはそれはものすげえ「これはすげえ!!」だ。頭が真っ白になる「これはすげえ!!」だ。生きててよかった「これはすげえ!!」だ。なにもがぬり変わるほどの「これはすげえ!!」だ。世界の全部に反対されようとまるでわけない「これはすげえ!!」だ。それはとにかく「これはすげえ!!」んだ。

では「これはすげえ!!」に出会うのは、そのきっかけがいかようであるかによるのか、と言われれば、それももちろん大いにそうではあろうが、それがなんにも響いていなかったときのことを思い出すと、でも確かにその時も、「これはすげえ!!」には至らずとも、なんにも響いていなかった、というわけではないことがわかる。それを「後付け」と呼ぶならそれでもいいけど、やっぱり「これはすげえ!!」は、そのときから確かにすげかった。ただし「これはすげえ!!」は残念ながら、絶対的に、とてもわかりにくいのだと思う。ぼやぼやしていたら、一生気付かずにも過ぎるくらいに、わかりにくい。

じゃあなぜそれが絶対的にとてもわかりにくい、のかを考えると、難解であるか否かのことではない。そんなことはたぶんまるでどっちでもいいのだ。ほんとうに「これはすげえ!!」ものは、それがどんな世間的な評価を得るだとか、それがどれほど楽しんでもらえるだとか、受け入れられるだとか、売れるだとか、都合がいいだとか、便利だとか、そういったことに一切負けず、負けずというよりかは眼中にもなく、その「もの」だけに沿って、もっと向こうに向かって、つくられているからということだと思う。

それが伝わることが芯に信じられていて、またはそれしか伝えられなくて、それが受け手にわかりやすく伝わるための妥協は「もの」自体にみじんも入らないから。受け手のレベルになんて、少しもあわせられていないから。「これはすげえ!!」かどうかなんて、そもそもわかってつくられていないから。想像するところの、そんなものすごい怖さ、に、立ち向かっているものにだけ「これはすげえ!!」がありますから。

たぶん世の中には、わかりやすく「これはすげえ!!とされる」ものが多すぎるのだ。なぜなら受け手は「これはすげえ!!とされる」ものに、やすやすと食いつきすぎるから。わかりやすく「これはすげえ!!とされる」ものは、一見成功してみえる。すると、多くの「もの」は、「これはすげえ!!とされる」か否かだけを重要視して、簡単に負けるのだと思います。わかりやすく「これはすげえ!!とされる」ようなものが、世界を変えない。そういうものは往々にして、いくらでも「代わり」があるのだし。もちろん「これはすげえ!!とされる」と「これはすげえ!!」が一致することだってあります。

じゃあワタシがどうやって、そんなわかりにくい「これはすげえ!!」に出会うのかというと、もちろん自分の目が突然に開いたときと、あとは「これはすげえ!!」と言っている人の存在がとても大きいなあ。と、思うと、だから、そういう意味では、「もの」をつくる人をやり手として、やり手と受け手の責任は、同等なのではないかということ。受け手もまた、世間的な評価やらに負けず、自分だけの頭を通してそれを「これはすげえ!!」と言えているのかどうか。場合によってはまた、そんな責任をともなった「これはすげえ!!」を第三者に信じさせることのできる存在であるのかどうか。

ああ、やり手も、受け手も、どうか負けずにと。
やり手として、受け手として、考えます。
だって「これはすげえ!!」を知る時って、ほんとうに「これはすげえ!!」んですから。
芸術だって、ビジネスだって、恋愛だって、なんだってだろうが。

当然、とってもめんどくさい。


流れて海、流れて山


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6月の教祖様




家に帰ると、でかいテレビモニターの前に、ただ同然で仕入れた様々なパソコンのパーツがごろごろしてあり、弟はついにパソコンを作りにかかった。しかも普通のパソコンじゃあできないことが、とことんできるパソコンを。一体そんな巨大マシンで、何をするつもりなのか。

むっつりな弟とむっつりなワタシが唯一ものすごく饒舌になる誰も知らない時間とは、かねてより病院という名のおもしろい城のことか、近頃100%パソコンの話題だったのに、ていうかパソコンの話題に関しては弟のとめどない質問にワタシが答えるのがその内容だったのに、昨日2人きりになって、とうとうはっきりと、あいつの言っていることがそろそろ全然わからねえ!

妹は、なんとかというケーキ屋さんの様々なケーキを前にして、これがなんとかこんとかそんとかと、長いカタカナの名前をあげながら、ナイフを片手に、口にクリームつけて、歯をチョコにして、ふうん、とか言いながら、夢中で全種類に手をつけました。毎日仕事場でお菓子をつくって、家でもお菓子をつくって、休みにはケーキ屋さんに行っているのに「わあ!ここのケーキがこんなに食べれるなんて!」て。

ていうか、さくらんぼの砂糖漬けつかんで「それではグリオットをいただきます」とか、いつのまにか家族に「教祖様」と呼ばれているらしいこいつの言ってることもやっぱりどんどん全然わからねえのだ。我々は教祖様が口をクリームだらけにして「満足、満足」と言ったあと、残りものをいただいたのです。

それからワタシは、教祖様の寝てる間にピアノを弾いた。いつもの楽譜をひらいて、なににも従わず。はじめて、はみでた。聞こえがどうあろうと、だからまるで違うものを弾いた。うおお!と心の中だけで思ったら。ひとり母が、その違いに気付きました。

ところで翌日、教祖様から珍しく届いたメールです。

「昨日は、ご多忙の中ありがとうございました。
海はどんなものを流してくれたのでしょうか、、
私は1人で誕生日プレゼントを買いに行きました。
夕焼けがきれいでした。
グーグーの世界はちょっと、入り込みにくそうなのですが、そこが面白え、」

強引に押し付けられた大島弓子さんの選集を読書中のご様子。

我々はきっと、お互いの世界をどんどん理解できなくなっていくことが、とても嬉しい。


あまだれ


いろんなことが並列に起こっていて、そりゃそうだ、夢までが並列なのだ。

垂れ流しのメールが呼吸のように届いて、呼吸のように受け、また別の場所へ呼吸のように吐き、そのバラバラの速度で、でもどこかで受け止めあえる者たちは、遠かろうと、近くにある。また遠くなる。

繋がりとは、なかなか「呼びかけ、返答」ではなくて「呼びかけ、呼びかけ」が、本当に時々、ものすごくもどかしい調子で、からまりあうイメージです。まれに、からまりあえた場合、特別なものが生まれるのは、だから奇跡だけど、だからその奇跡とは、驚くべき魔法のようなこと、ではないなあ。という感じ。

いろんな世界にある「素人」と「玄人」の使われ方と、その言葉の意味(素人とは、ある物事に経験の少ない人や、職業・専門としていない人。未熟な人。玄人とは、その道に熟達した人。専門家。本職。)が、全っ然一致していないことについて書いていたけれど、やめた。

突然に、興奮すべき「たう」のチラシができそうなんです。

しかし連日、札幌はぐずぐずの雨なのですから。

7月にスタートするFICTION公演の聞こえくるものに全体を傾けつつ。

あっても鳴らない携帯をなくしたら、薬がきれた人みたいになった。

7月は、札幌の「yhs」という劇団の次回公演に、参加することになりました。はじめましてともう何度か稽古場に出向いていて、今のところ、経て経てなんにもわからない状態が続いているのがすごいと思います。果たしてハタノが舞台に登場するのかどうかもまだわからないですが、また詳しく書くと思う。チラシが配られはじめました。

お店がつぶれたら困るよなあ。

明日は妹の誕生日です。


突拍子も無い余計なこと


突然「ユリエちゃんは○○くんと結婚すると思う」と、あのドライブ以来にお茶をしていた友人があげたものすごく具体的な個人名が、まるで思わぬ人だったから、それはろくに話をしたこともない、たしかいつもものすごく可愛い彼女をつれた、それなのにものすごく多くの女泣かせと噂の、だからたぶんいい男なんだけど、だからワタシは興味を持ってみたこともなく、聞くところによると今は外国に長いこといて、名前をあげられても随分と頭に浮かびもしなかった、くらいの、まるで思わぬ人だったから、「へえなんで?」と聞いたのだけど、その答えが「夢に出てくるんだよね」だったとき、ああ、じゃあワタシは○○くんと結婚するのかもしれない、と、とても思った。たとえ今のワタシに結婚願望のかけらや、この先にその○○くんと接点をもつことになるであろう予定などがなかろうと。

この突拍子もないことに、例えば、巧みな理由やもっともらしい分析がくっついていたとき、絶対にそうは思えないのだと思う。なんと説明したらいいかよくわからないけど、すべて真理とはそこに向かってあばけばあばこうとするだけ遠くなること、についてワタシはしばらく考えていて、もっとも納得できるものは、どんどん、一見もっともあやふやな「夢」や「直感」や「印象」の方なのです。すべての理由や分析やがされればされるほど嘘くさく感じるのに、一般的に嘘くさいとされる、こんな風に「夢に出てきた」とか、突拍子もなく「こんな気がする」とかの方が、断然にそんな気がするのだ。これには、誰にどんな状況で言われるか、ってことももちろんたぶんものすごく重要になってきたりするのだけど。

それはなんていうか、目もくらむような言葉を並べて順序良くくどかれるよりも、ガブッ!って突然腕を噛まれるとかの方が、より愛を感じる気がするのと一緒。って、ひどいたとえ。うーんと、じゃあ、それはなんていうか、キミはA型で長女で髪短いしこんなことが好きならこんなんでこんなんでこんなんでしょう、ふふふっ、と言われたらどんなにぴったり当たってても「ぜんぜん違います」と思うけれど、はじめましてと顔を見た瞬間になんの根拠もなく「やあ、固い女だぜコレ!」とか言われたら「へえ、そうなんだ」とすごく思うのと一緒です。って、これもひどいたとえ。

で、ワタシはあまりにも突然、ああそうか、その人と結婚するかもしれない、と、真剣にすっと思ったので、その友人はたぶん慌てました。次の日に割と深刻に、余計な予言をごめんなさい、とメールがきたからです。わはは。でも、ワタシはこれがとてもおもしろいと思う。まずそんな「夢を見た」ということが、その「夢」になるのも、それを友人曰くの「余計なこと」として、全然違う結果になっていくのだとしても、おもしろいし、なにがおもしろいっておそらくその「突拍子も無い余計なことが、思惑に反してぐいぐい介入してくる」こと自体なんだと思います。それは、ワタシが考えているように意見されたり、ワタシの感情を大事にされたり、もっともらしく説得されたり、というよりもずっと説得力がある気がする。

んで、山下さんという澄人さんが、お宅で長いこと「リンチ祭り」をしているというのはどうやらとても有名なお話らしいですが、それはデビッド・リンチ監督の映画の祭りのことだけど、当然のごとく、それはなんというかもう自動的に、ワタシも1人リンチ祭りを長いこと開催することになっていて、なぜならそれらはものすごくおもしろくて、もうものすごくおもしろいから、いくつかについて今度書きたいと思うけど、順序もバラバラに、最近やっと見始めたリンチドラマの「ツイン・ピークス」。

リンチさんの多くの映画の、そのおもしろさなんて、それこそ語れはしないのだけど、とにかく「奇妙」で「夢」と「現実」で、それにぐいぐいはまっていく感じが、その奇妙さ、突拍子も無さにこそ説得される感じに似ていると思いました。たとえば「ツイン・ピークス」では、FBIの捜査官が犯人さがしのものすごい調査のもとに、突然犯人がわかったと力説する理由がそのものすごい調査の何をも差し置いて突然「夢に出てきた!」とかになるのだけど、これがどんなにはちゃめちゃであっても強く「そうだ!」って思えて、もう全然なんていっていいかわからないけどすごくおもしろいよ全部。

ってそんなことも例えまるごと否定されても肯定されても言える相手が隣にいたらもっとおもしろいって、だから結婚に戻ると、なにがあってかにがあってこうなって、なるべくして結婚、っていうよりも、だからお互いに今のところなんの感情もないけど夢に出てきたから結婚するか、って、どんどん結婚ってむしろそうやってできるものと思っていて、どんな大恋愛の末よりも、そんなの断然に現実的でロマンチックだと思います。誰と結婚したって、ああ楽しそう。逆に言うと、誰と結婚しなくたって、ああ楽しいのですが。

まあだから結婚に限らずすべてにおいてになるのだけど、自分の考えや、自分の感情や、自分の決定なんて、ますますこれっぽっちも信じておらずを実感すると。意見なんて無責任にどんどんされたい。道なんてぐいぐいそれたい。ワタシの人生?あなたが決めてよめんどくせえ、って感じが、もうすごくある。とかいうと、やけっぱち、とか、考え無し、とか言われるので気をつけていきたいところですが、そのどこに至っても左右されるはずがない、という絶対の自信があるからにきまってるよばーかばーか、と言ってやればいいと思います。

おそらく作品のつくられ方もこれと一緒。
突拍子も無い余計なことの集合体がとてもリアルなおもしろい。
おもろー。リンチおもろー。


また晴れ


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頭上で、かちゃかちゃなっていて、頭上で、くすくすなっていて、あっちに寝たら、と言われて、もう起きますよ、と答えて、また随分と時間が経ったか、頭上にはもう誰もいなくて、ピアノの音がなったから、目をあける前に歌ったら、起き上がった。暑いっ。あいにくですが、本日は休みません。


PROJECTS

FICTION WEB

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FICTION WEB!

FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌
FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌(その3)
2009年4月8〜12日
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制作子のレポート
ハタノのレポート

FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌
FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌(その2)
2008年6月18〜22日
@シアターZOO

FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌
FICTION 山下澄人の「劇のつくられ方」in 札幌(その1)
2008年4月2〜6日
@シアターZOO

三番方節が聞こえる 「三番方節が聞こえる」波多野信子SOLO/2,500円(税込)

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