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2000年05月

16日

DAVID LYNCH 03

「グランドマザー」から「イレイザーヘッド」へ
「アルファベッド」は、この映画作家の前進に重要な作品となった。この作品は、次の作品となる「グランドマザー(1970)」の脚本と同様に、彼をロサンゼルスの映画学校、アメリカ映画協会(AFI)へと導いた。1970年、リンチは小さな家族と共にカリフォルニアへ移動し、まもなく「グランドマザー」に取り組み始める。前2つのプロジェクトに比べ、より野心的な、34分間の作品となった。ここでもリンチは、アニメーションと実際の録画映像を組み合わせ、また新しくモノクロとカラーの映像も繋いだ他、無音のシーンと話し声のサウンドトラック(記録音声)を用いたシーンを掛け合わせた。なお一層、はっきりとした物語の作風が流行の中、「グランドマザー」は「アルファベット」にあった子供の人物像を起用し、今度はそれを不愉快で暴力的でさえある両親の犠牲になる若い少年に変換した。少年は自ら自分の部屋に避難し、ベッドの真ん中に土の小山を作る。それは素早く有機的な泥の彫像に変成し、同じようにして、無口で親切なおばあさんの姿へと変わる。隠喩的な点からこの作品は、トラウマの環境から逃げ出すために混成の人物になることをもって癒しを見つける、この芸術家の姿の描写としても、捉えることができよう。おばあさんの像が、少年が空想と感情を結びつけることができる想像上の物体であることはまた明らかで、結果的にその創造物は、芸術作品になる。この単純すぎる解説では、本質的に詩的で少々病的なこの映画作家の世界が表面化された「グランドマザー」の奇妙さを捉え切ることができない。

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  この作品の制作中に、リンチはアラン・スプレットと出会った。彼は音に関してのリンチの分身であり、この時期からほとんどの作品のサウンドトラックを手がけた。そしてこの頃にリンチは、彼の最初の長編映画となる「イレイザーヘッド」に取りかかる準備が整うまでにたどり着く。視聴者をサウンドとイメージの長い旅へと連れる、手作りの傑作だ。リンチは1971年にこの作品の準備を始め、1年後に撮影を開始する。それから6年もの時間を経て、1977年3月19日、ロサンゼルスにて「イレイザーヘッド」の正式公開となった。当初撮影までに計画された6週間とはほど遠く延長された長い間、リンチはこの作品制作に取りかかっていた。実際、この作品制作(本来はアメリカ映画協会の卒業作品)の長い旅に突入した時、彼はこの規模がどれだけ増大するかはわかっていなかった。
  アメリカ映画協会(AFI)の生徒として、リンチは21分間の映画を撮るための5,000ドルの助成金を受け取った。仕上がりの作品はもっと長くなるだろうと考え、中規模の41分間の作品を作る許可を得る。撮影には、AFIが所有する別荘の部屋を含め、様々な地元の高級地を利用した。またスタッフとして、弟のジョンや、アラン・スプレット、後のTVシリーズ「ツイン・ピークス」の丸太おばさんになるキャサリン・コウルソンなど、リンチの周りの近しい人々による一団を結成した。1973年の夏、撮影が中断する。主な理由は、リンチが長編映画を作っていることに嫌疑をかけたAFIが、資金やフィルム供給を削減したからだ。夜の撮影が再びできることになったのが、1974年5月のことだった。この時期に、リンチは離婚をし、しばらくの間撮影現場に住むはめになった。
  1975年、リンチとスプレットはガレージにこもり、この作品の様々な音響効果(多くは手元にあるあらゆるものが使われた)に取り組んで数ヶ月を過ごした。1976年の春に「イレイザーヘッド」はほぼ完成し、リンチはカンヌ映画祭への作品提出を試みて、音響編集の目的でニューヨークへ行きがてら映画祭の選考委員会を目指すのだが、委員会は彼の到着までに終了していた。1977年秋、映画は、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにあるシネマ・ビレッジにて、土曜の夜の魅惑的な環境の中、封切りを迎え、ここでの上映が「イレイザーヘッド」のカルト映画としての地位を確実にし、現象化することになった。

※原文 Masters of cinema "David Lynch" by Thierry Jousse

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